okayama art summit 2022 岡山芸術交流 2022

okayama art summit 2022 岡山芸術交流 2022

パブリック
プログラム57

「アーティストトーク」テキストアーカイブを掲載します

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「アーティストトーク」テキストアーカイブを掲載します

開幕初日、パブリックプログラム「アーティストトーク」が開催されました。
参加アーティストが、出展作品や本展覧会に対する想いなどを語り合いました。

PUBLIC PROGRAM [ARTISTS TALK]
日本語テキスト – 日本語/原文 英語/翻訳

▼司会進行
木ノ下智恵子|Chieko Kinoshita

▼参加アーティスト
リクリット・ティラヴァーニャ|Rirkrit Tiravanija
ダニエル・ボイド|Daniel Boyd
マイリン・レイ|My-Linh Le
アジフ・ミアン|Asif Mian
プレシャス・オコヨモン|Precious Okoyomon
バルバラ・サンチェス・カネ|Barbara Sanchez-Kane
島袋道浩|Shimabuku
曽根裕|Yutaka Sone
梁慧圭(ヤン・ヘギュ)|Haegue Yang

木ノ下智恵子:
皆さん、こんにちは。今日は平日の昼にもかかわらず、たくさん会場にお越しくださいまして、ありがとうございます。今日は、オンラインとここ岡山県立美術館さんに会場をご提供いただき、二つの方式で実施しています。どうぞよろしくお願いいたします。本日、開幕しました岡山芸術交流2022のオープニング企画であるアーティストトークは、パブリックプログラムの一環で開催しております。パブリックプログラムとは、岡山で開かれる3年に1回の国際展をどのように地元の皆様とホストとして迎えられるかということ、この岡山という地域に開かれて根ざし、持続発展することを目的に岡山市内外の方々と様々な企画を行っております。

今朝、開幕直後の旧内山下小学校の会場にある、リクリットさんの芝生の作品を子どもたちが楽しむ場面を目撃したと思うのですが、パブリックプログラムでは、岡山市県内含めて100校ぐらいの学生たちのツアーをはじめ、色々な企画を行います。例えば、学生グループによる新聞発行や、岡山内外の方々による公募企画、あるいは地元の対話鑑賞団体と共同で行う子どもナビゲーターによる対話ツアーなど、この岡山芸術交流の会期中に行ってまいります。ぜひアーティストの作品とともにお楽しみいただきたいと思っています。
本日のアーティストトークでは、岡山芸術交流2022のアーティスティックディレクター、リクリット・ティラヴァーニャさんをはじめ、世界各国で活躍する参加アーティストにご登壇いただいております。展示作品を見るだけではなく、アーティストの思考に遭遇し、時間や歴史、国境などを行き来するような芸術との交流を、ここ岡山でお楽しみいただければと存じます。
さて、まず初めにリクリットさんにタイトルやテーマといった、岡山芸術交流2022全体のコンセプトなどについてお話いただき、その後にで、各アーティストから2、3分程度自己紹介を行っていただきます。

後半は、2、3つのテーマを設けまして、フリーディスカッションを予定しておりますので、約1時間半、お楽しみください。様々な視点でアーティストがどのようにアート、あるいは世界を旅しながら作品を作っているのか、より身近に感じていただける時間になれば幸いです。
ではここからは、リクリットさんよろしくお願いいたします。

木ノ下智恵子

リクリット・ティラヴァーニャ:
本日はご参加いただきありがとうございます。何かご質問はありますでしょうか(笑)?後で質問はできないと思いますので、今いかがでしょうか(笑)? こんな風に私は、いつも質問から始めます。岡山芸術交流には第1回目からアーティストとして参加しており、岡山芸術交流を通じて素晴らしい経験をさせていただきました。いわゆる中央から少し離れた地域で、その地域のことを考えながら展覧会を開催するということに対してとても前向きに考えていたので、第1回目から良い経験をさせていただきました。

そして今回、アーティスティックディレクターとして、また岡山に戻ってきてほしいとご依頼いただいたのですが、私にとって簡単なことではありませんでした。なぜなら、いつも展覧会のキュレーションを行っている訳ではないですし、今回で3回目の開催になるので過去2回の展覧会でどのようなことが行われ、どのようなテーマで、どのようなアーティストが参加し、そしてそれらが現在という時間軸にどう関係しているのかを把握した上で、私に何ができるのかを熟考する必要がありました。今回のタイトルでもある”Do we dream under the same sky(僕らは同じ空のもとで夢をみているのだろうか)”は、私にとって新しいものではなく、少し前に私の頭の中に浮かんだ言葉で、違う形でこのタイトルをもとに行ったプロジェクトもいくつかあります。

つまり今回の展覧会を開催する前からこのタイトルは私の中にありました。他のアーティストたちと一緒になって展覧会を作り上げることを考えると、予めタイトルを決めてから展覧会の形を考える方がやりやすかったのです。そして私がしなければいけないことは、岡山について、世界で起きていることについて、そして一方で地域という意味合いで、地元に焦点を当てて考えることでした。また、身近に起こっているような問題に対しての疑問にも目を向けるようにしました。結果的に、過去2回の展覧会はある意味非常に西洋中心のものになっていたので、今回はもう少しコンポ・セントリック、普通は中心にあるものではないようなものにしたかったのです。今回のタイトルは、疑問や答えのようなものではなく、フレーズなのです。もちろん、私たちは、起きている時に見る夢、眠っている時に見る夢、例えばウクライナで起きている戦争での状況において、逃げ出そうとする時に見る夢など、異なる夢を見ます。気候問題や様々な問題からもそれぞれ夢を見るでしょう。つまり、これは黙示録のようなものだと思います。
あまり楽観的になれない状態にある中で、私たちがどのようにすれば良い夢を見ることができるのか。だから、私がやりたかったことのひとつは、アーティストたちに岡山に来てもらい、ここで作品を制作してもらうということです。これは私が思い描いた展覧会の一つの考え方です。というのも、私は自身の作品において、常にコンテクト(文脈)やその地域にいる人たちと共に築きあげ、何故その状況の中で、その作品でなければいけないのかを考えることを大切にしているからです。今回の展覧会では、私が知っているアーティストも参加していれば、これまで知らなかったアーティストにも参加を依頼しました。その関係性の中で、岡山で彼らが交流し、場所を感じ、人と出会い、岡山について考え、そして作品を生み出してくれることを期待していたのです。

ところが、1年以上前からアーティストに今回の展覧会に参加をお願いしていたのですが、コロナの影響で開催日の約5か月前までは誰もここに来ることができませんでした。なので、アーティストたちにとって、この場所で作品制作を行う為の、岡山を感じるという事前準備期間があまりにも短かったのです。それでも、展覧会をご覧になった方、あるいはこれからご覧になる方は分かっていただけると思いますが、アーティストたちは、私が望んだ形で異なる夢を一つにするということに応えてくれたと思います。

ご存じのように、今回、岡山の要素を含んだ作品が様々な会場に展示されています。普通の美術館とは全く異なる空間がある一風変わった2つの個人コレクターのコレクションから発展した、岡山市立オリエント美術館と林原美術館。そして公共の展示空間として、日常的に岡山の人々の活動発表の場として使われている岡山県天神山文化プラザ。ここを視察で訪れた際は小学生による書道コンクールや年配者による書道や詩の展示が行われており、公共としての役割があることに気づきました。このように、これらの3つの会場は全く異なります。また、とても歴史のある旧内山下小学校は、今回アーティストとして参加している島袋さんのお母様が通われていた小学校で、お母様が通っていた学校の教室で作品を展示したいというリクエストがありました。そこには、ある種の記憶や痕跡、想起や回想があるのです。
私は、アーティストとして様々なことを考えますし、アイデアはもちろんあるのですが、最終的にどのようにひとつに纏め上げれば良いかを見出せていませんでした。そこで私は、それぞれのアーティストに異なるスペースでの作品づくり、そしてそのスペースに関して考えながら、より小さなスペースに作品を展示してほしいと伝えました。それをインデックス展と呼んでいます。インデックス展では、全てのアーティストの作品を同じ部屋で見ることができると同時に、タイトルにもある”同じ空のもとで”というアイデアをこのインスタレーションから感じ取ることができると思います。

リクリット・ティラヴァーニャ

木ノ下智恵子:
ありがとうございます。岡山に来て作品制作されたアーティストが数多くいると思うのですけども、一方であえて物故作の作品を象徴的に用いられているように思ったのですが、特にその円空とか、リクリットさんにとっても重要な表現者を数名選ばれていますね。また、円空をはじめ今回は、世界を旅するアーティストの方々が参加されていると思うのですが、そこについても一言いただいてもいいですか。

リクリット・ティラヴァーニャ:
タイトルもそうですが、アーティストや展覧会の在り方について考える際に、ある種のインスピレーションや物事を始めるポイント、異なるアーティストがお互いに関連し合うようなビジョンを持っています。円空は300年以上前の仏教の僧侶ですし、リジア・クラークやデヴィッド・メダラは、私にとってアートをどのような視点で考えるかの影響を与えた重要な方々です。この世にはいない上の世代のアーティストたちは、この展覧会をどう進めていくかの目印のようなもので、アーティストたちがどのような姿勢で、どのように考えながら作品制作を行うかに繋がり、インスピレーションを与えてくれると信じています。

木ノ下智恵子:
生きているアーティスト、そして今は不在ながらも今と地続きになっている人たちの作品が、この岡山で一同に会する展覧会ですけども、ここからは、出品者の中から今日ご登壇いただいているアーティストそれぞれにご自身の作品について少しご説明いただきたいと思います。では、ダニエルさんからお願いいたします。

ダニエル・ボイド:

(プレゼン画像を元に)私は作品とロケーション(配置)への理解が重要だと思います。それを説明する為にも、まずは私のペインティング(絵画)作品についてから始めた方が良いですね。私の絵画の場合、表面上に光を通す透明のドット(穴)で構成されていて、これはレンズのような役割を果たしています。そして、レンズは入り口や見方の表現で、知覚に関するものなのです。歴史的に見ても、アートによる表現は、アートの力を利用したある種のイデオロギーを支援するものだったと思います。私が最初に絵画で行おうとしたことは、公平な形で何かを見たり理解したりするためのスペースを与えることでした。つまり、無数のドット(穴)による方法でそこに入り込んだり、出て行ったりすること、絵画の表面と光の相互作用は、それをどのように読み取るかの大事な要素なのです。絵画を観ているものにとって、その体験が作家の立場に置かれるような経験をすることができるのです。前に近づいて観ると絵画はきらめき、静的な物体としてでもなく、連続体のような感覚としてのひとつのアイデアとして据えるわけでもなく、何か別のものを生み出すのです。これらの作品は繋がりで、どのように繋がりを得るのかで、線的なものではなく、何かを表現する上で無秩序を生み出す機会を与えてくれているのです。

ですから、この表面は戸口のようなものだと考えています。光を通す透明なドット(穴)の間に黒色のペイントがあり、そこに意味はないのです。何かを押しとどめることで、観ているものに見えているもの以外に何かがあることを理解させるのです。戸口と同様に、洞窟の入口みたいなもので、日差しと暗闇が出会うようなものだと考えています。つまり、光と自分を結びつけて、その繋がりを理解するようなものなのです。スクリーンに映っている左下の写真にあるように、これは教室で、太陽の軌跡を感じられるような窓の作品を展示しています。太陽と私たちの関係や、特定のコンテキスト(文脈)に私たちを位置づけています。作品はそのような考え方で制作をしています。

木ノ下智恵子:
ありがとうございます。では、マイリンさんお願いします。

マイリン・レイ:
(プレゼン画像を元に)こんにちは、私はダンサーであり振付師であり、時には映画も作ります。自分の作品について話すのはあまり好きではなく、だからアーティストとしてこの場に立っているのだと思います(笑)。画像の左上の最初の作品は、私の母についての短編映画です。タイトルは、ベトナム語で”Me I Love You Long Time”、英語で”Me Love You Long Time”です。この作品は、2つのことを検証しています。ひとつは、私自身が働きすぎる傾向にあるということで、これは母から学んだことだと思います。母は信じられないくらいにエネルギーに満ちた女性なのです。そしてもうひとつは、私たちの怒りです。この2つはリンクしていると思います。この作品は、私がずっとロボットのように動いている短編映像なのですが、私の動きを通じて怒りを表現しています。

画像右下の2つ目の作品は、オークランドでダンサーたちと一緒に作った短編映画の一場面です。神話とストリートダンスを組み合わせたもので、物語は2つの話で展開されます。ひとつは、ある男が月に祈りを捧げ、自分の影から自分を引き離してくれるよう頼むのですが、それが叶うとすぐにその願いを後悔してしまいます。そして、彼が再び自分の影を探すというストーリーです。2つ目のストーリーは、ダンスバトルに臨む仲間たちの話です。我々の野心と愛する人への忠誠心との間の緊張を描いたものです。

そして、画像左下の最後の作品が、今回発表する作品です。この作品は《 良い夢の鬼 demon of good dreams 》というタイトルで、岡山、兵庫、大阪の地元のダンサーを起用して作った映像とライブパフォーマンスのダンス作品です。この作品は、岡山芸術交流2022のために岡山で制作した新作で、非常に迅速な制作プロセスでしたが、同時にかなりハードなものでした。ダンサーとのコラボレーションで、彼らを知り、会話や触れ合いを通して日本の文化を知ることは、私にとって本当に重要なことでした。以上です、ありがとうございました。

木ノ下智恵子:
ありがとうございます。では、アジフさんお願いします。

アジフ・ミアン:

(プレゼン画像を元に)こんにちは、アジフ・ミアンです。私は彫刻家であり、映像作家です。この展覧会のための作品は、赤外線カメラの映像を使った一連の作品で、人の熱を読み取り、黒地に白色で映し出するものです。これは、ある種、抑圧的で監視のための道具のようなものですが、このカメらは私にインスピレーションを与えてくれるのです。子どもの頃にあった幽霊のイメージが、目の前の存在とテクノロジーを通してよみがえり、子ども時代への入り口へと誘ってくれます。このプロジェクトにまつわるアイデアを少し読んでみたいと思います。

(以下、テキストを元に読み上げる)

『逃げるのではなく、カメラの前で変身する』
テクノロジーを使って、そこにあってそこにない、神話的な存在を作り出す。つまり、そこにいるけどいない、死んでも生きてもいない亡霊のような存在だ。
南アジアの伝統的な敷物に織り込まれた文字のようなリミナルなパフォーマンスを体現しながら、テクノロジーによって熱を追い、物質的なインターフェースを通した熱から姿形を作り出す。そしてその姿は神話の一部としてパフォーマンスをする。

飛行中のドローンの赤外線の眼下に映るプラスチック製の皮膚に閉じ込められたその姿は、蛇のユニークな体の一部だ。断片がつながり、怪物的な姿に変化する。皮膚が剥がれ、まとわりつく歴史が剥がれ落ちる。過ぎ去った誰かの過去の残影。テクノロジーを介した神話の翻訳、世代を超えたコミュニケーション。
赤外線カメラの映像作品は2つの世界を映し出す。現実と仮想、2つの異なる知覚の状態がそれぞれ競合している。』
この作品は、私の出身地に近いニューヨーク州ヨンカーズの使われていない学校で撮影を行い、日本の岡山の使われていない学校で展示をしています。神話、テクノロジー、場所を映し出す鏡なのです。ありがとうございました。

木ノ下智恵子:ありがとうございます。では、プレシャスさん、お願いします。

プレシャス・オコヨモン:

(プレゼン画像を元に)こんにちは、プレシャス・オコヨモンです。私が今までに作った作品は全て、その場所特有の作品です。左上にある緑色の葛の作品は、パンデミックが起こる直前にドイツのフランクフルト現代美術館で制作した作品です。アメリカでは外来種の日本の葛という植物で、葛が生い茂った庭を作りました。そして私が「お庭を守る天使」と呼んでいる人形を作りました。私の作品の多くは、空間について考えています。他の人のために空間を作るにはどうしたらいいか、遊び、はかなさ、愛、何かやりたいことのための様々な空間を積極的に作るにはどうしたらいいか、についてです。

今回の展示のために特別に制作したのは、《太陽が私に気づくまで私の小さな尻尾に触れている Touching My Lil Tail Till the Sun Notices Me》というタイトルの作品です。彼女はプールの中にいる巨大なクマで、触られたがっています(笑)。プールの中に潜り込んで、抱きしめてあげてください。この作品は、子ども時代と欲望、そして可愛らしさの中にある暴力性について深く考えたものです。もうひとつは、ずいぶん前にチューリッヒのルーマ ウェストボーで発表した作品で、イチジクの木の森を作り、そこにリンチされた動物のぬいぐるみを吊るしました。そして、これはアメリカ南部で起きたリンチ事件という黒い歴史に結びついているのですが、このような暴力的な歴史に人々が向き合えるよう、可愛さを交えて表現することで見る人の警戒を解いているのです。そういったやり方でアプローチするのが私は好きなのですね。根絶やしにされたこの場所で、この木がゆっくり茂っていき、そこには小さな人形がただぶら下がって揺らいでいる。そういったアイデアの作品なのです。ここで、この木の作品を制作した後に私が書いた詩を読み上げたいと思います。
(以下、テキストを元に読み上げる)

『先日、不幸なことがありました。”白人の精神科医に相談しに行きました。わかったよ、私はここにいる。でも本当はここにいないんだ。それがどうした?呪文が感情を焼き払い、無垢な心を消し去っていく。コントロールできるのは、努力しても自分の感情だけ。炎を移し、生身の体を解放する。自分を根こそぎにする必要がある。木を切り倒し、十字架にし、毎日それを背負うのだ。心が否定するものは、現在の呼吸に浮かぶその歴史。私をあるべき場所に連れ戻してください。傷。傷。虚無。私は自分が空虚であることを忘れ続けている、笑。私から何かを奪ったと思っているのなら、ありがとう嬉しいわ。そしてそれを持っていていいわよ。私は黒ずんだ信念を持って待っているから。皮膚はじっとしていて、臓器は動いている。自分の中の壁が喋る。不気味な歯がファックできる穴を探している。今は物事が曖昧になっているのが怖い。低解像度のシミュレーションだ。

ああ、私は殺したかったが、殺すべきものは自分自身しかなかった。私は何が欲しいか知っている、そしてあなたに誓って私はそれを得るつもりだ。悪夢の中で死ぬより怖いことはないだろう?そこに横たわり、赤、オレンジ、緑で埋め尽くせ。持続可能な思考のみ。地球を自分の口に入れてみる。自分の中に自分を植え付ける。当たり前でしょ、世界で一番飢えている女は明らかに私だ。私はあなたが向けてくるものをすべて受け止めることができるのよ。自分自身の中にある虚無を受け入れることは、超自然的なことだ。私は自分の中に潜んでいる暴力的なものを殺すために神秘主義者になる。私は恐れるものを想像し、それをリセットすることができるのだ。知識の抑圧、光から切り離された自己の抑圧が魂を活気づける。失うものは何もない。空に羽ばたき/光を放て。そう、そんな感じ。すべてがあなたを殺そうとしている、あなたは恐れるべきだ。革命的な現代が私に何かを要求する。白人社会は私に何かを要求する。世界は私に何かを要求する。私はただ横になれる場所を探している。』

ありがとうございました。

木ノ下智恵子:
ありがとうございます。素敵な詩を読んでいただきましたが、それでは、バルバラさんお願いします。

バルバラ・サンチェス・カネ:

(プレゼン画像を元に)こんにちは、お目にかかれて光栄です。バルバラ・サンチェスです。私は《悪臭の詩 Versos Rancios [Rancid verse]》というインスタレーションを発表しました。3枚の絵の素材はすべて生皮でできていて、今回はメキシコシティーにある会社と一緒に制作したものです。私は、物質性は非常に儚いものであり、今もこの先も決して所有することはない、という考えから作品制作をしています。なぜなら、私は所有するという行為を信じていないからです。そして、私は身体がどのように空間に生息しているかを研究するのが好きです。私にとって、衣服は最初の鎧であり、最初のプレゼンテーションのようなものです。皮膚を使うということはアイデンティティーに深く関わっています。

私たちは、自分が誰であるかという正しい定義はないと理解する必要があると考えています。今日は何かを感じても、明日は全く逆のことを感じるかもしれない、といった具合にすべてが一過性のものであり、それが人生だと思うのです。写真のひとつは、実際にファッションショーで使われた生皮でできた傘です。人々はあなたはファッションデザイナーだ、アーティストだ、と定義したがるので、芸術の中で異なる側面に触れることは人々を混乱させます。しかし、私はファッションショーのランウェイで使用したものを別のコンテクスト、別の部屋で見せることで、その身体が別の身体になると思っています。なぜなら、それは違う部屋、違う空間、違う時間なのですから。

そして、今回の作品「悪臭の詩」についても同様です。ファストファッションは根絶されなければならないとか、服の耐久性があるとかない、といったようなファッション業界にまつわるアイデアを使って私は遊んでいるのです。また、現代社会において、一体誰が女性の身体を支配し、誰が意思決定を下しているのか、という問いかけも私は投げかけています。自分の人生で何が起こっているのかを作品を通して示すことは、私にとってとても重要なことで、それはきわめて個人的な内容でもあります。実はこの作品は、その制作過程で亡くなってしまった私のアシスタントに捧げたものです。そう、アートは人生で歩む道のりだと思っています。ありがとうございました。

木ノ下智恵子:
ありがとうございます。では次、島袋さんお願いします。

島袋道浩:

(プレゼン画像を元に)どうもこんにちは、島袋です。先ほどリクリットさんのお話の中でもありましたが、たまたま自分の母がこの近所の内山下で育った人で。本当にたまたまなのですが、今回会場にもなっている旧内山下小学校の卒業生でもあります。それで祖父母や親戚が岡山にいたので、子どもの頃、僕はもう53歳なのですが、小学生ぐらいのときは、岡山に度々来ていました。
後楽園とか岡山城にはよく行っていましたし、そのすぐそばの白鳥のボートに乗って遊んだりしていました。大人になってからはずいぶん岡山に来ることもなかったのですけど、10年ぐらい前ですかね、久しぶりに来たらあまり岡山が変わってないことに良い意味ですごく驚きました。本当に子どものときのような昭和な感じが残っていて、すごく嬉しくなりました。白鳥のボートも、その時点では本当に全然変わらないままで、自分が遊んだ白鳥のボートがそのままそこにあることに、びっくりしました。と同時に僕が世界中色々な所へ行っている間に、この白鳥のボートはここにずっといたのかということに驚きました。それでどこかに連れて行ってやりたい気持ちになって、その白鳥のボートを川を下ったところにある海に連れて行くという《白鳥、海へゆく Swan Goes to the Sea》という作品、パフォーマンスを2012年に行いました。そのときは旭川の河口、海の入り口というか、そこまでしか行けなかったのですが、それを見たイマジニアリング(正式名称は「Imagineering OKAYAMA ART PROJECT」で、岡山芸術交流の前身となった取組み)の人たちがもう1回それをやろうということで、2014年にもう一度行いました。

そのときは安全対策をし、横をカヌーの人が走ってくれたりしたので、それとあと、運よく風向きがよくて海に出ると、本当に流されるというか(笑)、追い風を受けて犬島まで行くことができました。その岡山で行った2回のパフォーマンスに基づいた映像作品を今回、岡山で見せられる。しかも自分の母が勉強した学校、教室で。旧内山下小学校というのは100年以上の歴史があるのかな、第2次世界大戦の前からある学校で、母によると校庭などは全然変わっていないところもあるらしいのですけど。そこで見せられるということが、自分にとってはすごく特別な意味を持っています。
その映像に自分がその白鳥のボートに乗って海に行ったときに頭に流れていたようなメロディーを、自分の友人の野村誠という作曲家と一緒に、こんな感じ、こんな感じなのだと説明しながら、先に編集していた映像を、ピアノの前にiPadを置いて見てもらいながら楽譜にして音楽を一緒に作りました。それが今、旧内山下小学校の2階で流れています。もう一つ《わけのわからないものをどうやってひきうけるか?》という作品があるのですが、それは会場で見てもらえばわかる作品だと思います。もうひとつ、象の映像作品。僕はリクリットさんとは25年ぐらい前にオーストラリアのシドニー・ビエンナーレという展覧会に一緒に呼ばれて、その時からの知り合いなのですが、そういう意味では、長いつき合いをさせてもらっていて、一度彼のチェンマイの家に遊びに行ったことがあり、そのときにたまたま一緒に散歩というか、歩いているときに見つけた象の映像です。

撮影をしていると、その象が首を動かしてすごく動いてくれるんですけど、何か怒っているのか、楽しいのか。どういう気持ちでいるのかわからない。その色んな風に見える状態が興味深く、リクリットさんはいつもご自分の作品に「Untitled」というタイトルを付けるのですが、これは「Untitled」だなと思って。(私達が一緒に見たチェンマイの象)という副題をつけました。これはスーパー8というフィルムで撮っているのですけれど、現像したら見せてとリクリットが言っていた。それがちょうどもう12、3年前ですが、そのとき見せると言っていたのですけど、その約束をまだ守っていなかったので、今回やっと約束を守りました。

木ノ下智恵子:
ありがとうございます。では曽根さんお願いします。

曽根裕:

(プレゼン画像を元に)芸術家の曽根裕です。よろしくお願いします。ちょっと僕は色々の場所へ移動を続けていて、あまりこういった所は来ないのですが、特に色々な作品を作りますし、特に拘ってなく、自由にやらせてもらっています。
ただ今日ちょっと話したいのは、やっぱりウクライナ戦争とか、最近ではゴダールさんがお亡くなりになったりして。僕自身57歳なのですが、本当は、なんていうか、怒っています。アンガー。アイムアンガー。バットアイムアグッドマン。(通訳:しかし私は良い人間なので・・・)と同時にやっぱり歳なんですね。
怒るということはかなり体力が要ることで、本当であれば、僕が若い頃であれば、もっと怒っているのだと思うのですが、表現できたと思うのですが、なかなか怒り続ける体力もなくなってきて、ちょっとアンガーとしては失格なんじゃないかと思っています。
しかし、ニコニコしながらも、内面は怒っていて、いつまで怒るのかわからないですが、今このリベラルアーツがどんどん地に落ちていく中で、怒るのが仕事だと思っています。それがね、表現にどう繋がるかという問題が、あまり考えてはいないですが、たまたまリクリットさんが音楽ステージの、音楽家の作品を出されるので、今回は一昨日ぐらいから、1週間くらい音楽の活動をします。音でちょっと僕の内面のね、怒りがなかなか個人で継続できないので、音楽でやってみたいと思います。よろしくお願いします。

木ノ下智恵子:
ありがとうございます。今日もスペシャルなライブがあると伺いましたが、怒りと音をぜひ皆様には聞いていただきたいと思います。では、ヤン・ヘギュさんお願いします。

ヤン・ヘギュ:

(プレゼン画像を元に)皆さんこんにちは、ヤン・ヘギュと申します。この度はお招き頂きありがとうございました。今回の参加は私にとって大変興味深い体験となりました。マイリンさんと同意見で、自分の作品に自分の意見を添えるのは不要なことだといつも感じています。また、曽根裕さんのお話にも共感を覚えました。この席周辺は不機嫌な年寄りの怒りゾーンですね(笑)。私はなぜリクリットさんが今回の展覧会に私を誘ってきたのだろう、と考えていました。正直に言うと、私は夢を見ませんし、もしくは夢をほとんど覚えていないのですが、夢という言葉の背後には何があるのだろう、と考えていました。それは欲望かもしれないし、願望かもしれない。必要性や緊急性、絶望感かもしれない。夢という言葉の裏には、いろいろなものがあるのでしょう。そして、たとえ私が夢見がちな人間ではなく、あまりに冷静だから夢を見ることができないのだとしても、現代的な意味での夢という言葉の崩壊は、この場に参加した旅人の一人として私にも関係することだと思っています。

リクリットさんが「旅する声」と表現するように、私たちアーティストはおそらく時間や場所、断片化、転用、分散の位置づけを興味深く構築することで、世界が私たちに課している奇妙なアイデアから逃れようとしているのかもしれません。それは想像や願望の中でしか知らないエキゾチックな場所に転がり込むような感覚であり、アートの持つ意図の一つであると言えるでしょう。リクリットさんは私の作品展示場所を複数箇所に配置しました。だから私は4つの異なった場所に作品展示をしています。ここに映っているのは2つの展示会場(岡山市立オリエント美術館、石山公園)です。また、今回リクリットさんは多様な作品、つまりは特異なアイデンティティーを集めることを選びました。一人の人間を複数の作品で表現することもできるし、複数の作品で一人の人間を描くこともできるのです。そしてもうひとつは、全体論的な思考です。
それはアートであろうがアートでなかろうが、声や視線が区別や違いを越えて行き来するような感覚です。なぜ私はこの展覧会で仲間たちと一緒にいるのだろう、と考えたときに、まさにその感覚が湧いてきました。リクリットさん自身も、私たちが今興味を持っていること、そのすべてを体現しているように思います。だから、私は好奇心でこの展覧会に参加したのです。ここに映っている作品の他に、あと2つの作品を展示しています。一つは神社で、もう一つは後楽園にある「観騎亭」という休息所ですが、これはリクリットさんが秘密裏に最後の最後に入れ込んできました。会場案内のどこにも表示されていないような、そんな展示をするのは私も実は好きですけどね(笑)。

本当にギリギリの最終決定でした。使いやすいインターフェースや公共サービスなどに慣れ親しんでいる現代において、アートとは何かを考えると、効率に関連するすべての観念から逃げる、ということではないかと思うのです。そして、今回の私の参加にはそういった要素が関わっていたことをお伝えしたかったのです。今回の作品の一つにベンチがありますが、このベンチには、風という非物質的な素材、植物という非人間的な素材、そしてレンガという非常に人間文明的な素材があるあの場所で、良い人生を送ってもらいたいと思っています。つまり、レンガと葉と風が共同生活を構築している空間なのです。そしてこれもまた、全体論的な考え方の一つと言えるでしょう。本日はお招き頂きありがとうございました。

木ノ下智恵子:
ありがとうございます。では最後に、リクリットさんの作品について、ご自身のことについてコメントいただけますか。

リクリット・ティラヴァーニャ:

(プレゼン画像を元に)ひとつは岡山芸術交流が開催される前のイマジニアリングの時に岡山にあったもので、2012年頃の作品だと思います。そして曽根裕さんが中国で怒りを表して作ってくれた私の作品 《無題2017(オイル ドラム ステージ) Untitled 2017 (Oil Drum Stage)》。実際には彼が作ってくれたので、彼の作品とも言えますけどね(笑)。ただ、リクリットの「オイル ドラム ステージ」と呼ぶのはとても気分が良いのです。そして画像の大きい写真はもちろん旧内山下小学校の校庭にある芝の作品です。この展覧会を始めるにあたって、展覧会のキュレーションをするアーティストは、当然、展覧会に作品を出品しなければいけないと言われたのです。

それは私の倫理観に少し反することで、通常、展覧会のキュレーションをするときは、私の作品は含めないのです。それはルールのようなもので、私がキュレーションをするとなると、それは私自身のアイデアに基づいて構成されるので、そのフレームの中に自分を入れたくないのです。実際に、私のほとんどの作品は中心になることから避けようとしているものばかりですよね?でも最終的にはいつも真ん中に入れられて、何かについて喋ったりしてしまっているんです。だから、今回も何かの弾みで、この大きなグラウンドの土を芝生で緑いっぱいにしたいと言ったんです。そして、最終的にこの大きな芝生の上に今回の展覧会のタイトルが現れるように作ったのです。

実際に芝生を敷き詰めてみたら、意図的にも良いものができたと感じました。岡山の地元の人にとっても自由に遊んだり寝そべったりできる綺麗な芝生ができますし、同時に、芝生を敷いてしまったらそれを維持して芝生を育てる必要が出てきて、もうそれを?がしてしまうようなことは出来なくなりますよね?だからある意味、砂漠を改良するようなものだと思ったのです。一方で、このプロジェクトを進めている途中で、何故ここはいつも砂漠のような状態になっているのかに気づいたんです(笑)。このような芝生ができたら当然、水をあげないといけません。そして、水をあげるということは、色んな方面で負担になりますよね?だから、ある意味これは間違いだったかもしれませんね(笑)。

でも当分は楽しめますし、台風もきて、この間は大雨だったので、それは個人的には嬉しかったです(笑)。そして、今日のテープカットの直前にみんなから、テープカットが終わったら直ぐに120名の小学生が展覧会を見に来るよ、と言われたんです。それで、ああ、これは面白いなと思ったんです。見ての通り、たくさんの子どもが来てくれて、恐らく帽子の色が違ったと思うので、違う学校から来てくれたのだと思います。制服を着ている児童もいれば、着ていない児童もいました。そして、芝生の方へ向かっていったんですけど、その瞬間が私にとってかけがえのないもので、子どもたちは芝生に対して何をすべきか理解しているようで、その時、最初の段階として子どもたちにある意味この場所を取り返すようなプロセスは良い方法だと感じました。子どもたちが芝生で歩き回り始めた時に、正直何をし始めるのか分からなかったのですが、通訳の方に、この芝生のタイトル文字(テキスト)の上にクエスチョンマークを作ることができるかもしれないって言ったんです。そしたら彼女が飛び出していって、いろんな人に手伝ってもらって、このクエスチョンマークを作り始めたんです。
実はこれは初めてのことではありません。以前にもやったことがあります。これは発明でもなんでもなく、ヴェニスの展覧会で私がキュレーションをした際に親交ができた、チェコのアーティストの作品から生まれたものです。ジュリアス・コーラーという方です。先ほどの年配アーティストと同様に、既に亡くなっている方で、私のキュレーションしている展覧会の一部として、彼の作品が展示された時に、初めて彼の事を知りました。ある日、展覧会のスペースで、彼はテニスラケットで新聞紙の玉を空中に打ち上げていたんです。上を見上げると、テニスコートのように中間地点にテニスネットのようなものが天井にぶら下がっており、そこに目掛けて彼が玉を打っているのを横で見ていました。彼は英語が喋れないことを知っていたので、コミュニケーションはテレパシーのような感じで行ったんです。そして、彼の作品を見て、本当に刺激を受けました。この画像からは分かりにくいのですが、ジュリアス・コーラーを同じく参考として、ステンレスの卓球台を屋外のお城の前に設置したのです。彼にインスパイアされた作品です。面白いことに、何でもこの場所にやってくるんですよ(笑)。

木ノ下智恵子:
今日、複数のアーティストによる表現が、この場にご登壇いただいてない方々も展覧会という形で皆さんの目の前にこの街で繰り広げられています。3年に1回、国際的なアーティストがこの岡山で展覧会を開催し、そして過去2回のこれまでは違うことをテーマに考えていると、先ほどリクリットさんが仰ってたんですけれども、そうした比較ではなく、では今、社会で、世界で起きている、先ほど曽根さん怒っているとご発言された状況において、アートが、この世界では無くなって欲しくないものとして在る。今、アートがどうあるべきか、あるいはなぜここに皆さんが存在していのるか。メッセージをいただけますか。まず、曽根さんお願いします。

曽根裕:
それぞれ今できることしかできないので、ただ今回リクリットさんの制作を手伝って、実際にリクリットさんのステージが今、ここに来る前にマイリンさんがまず一番最初にリクリットさんのステージの上で、今日パフォーマンスをしまして、僕も楽しく、まぁ楽しくというより怒りを、怒りと言うのはなんかもうこの歳なると疲れてしまうので、今日はドラムをやりました。
この後いよいよ僕の今まで擁してきた怒りも含めた、しかし、音楽というね、枠でパフォーマンスをしたいと思います。マイリンさんと結局繋がる形になったのは、リクリットさんのステージが機能し始めたということだと思います。ここで提案ですけど、僕自身、今やっているバンドが大体45分ぐらいの、内面もそれぞれどんな気持ちで他のミュージシャンがやっているか知りませんが、45分ぐらい、いや25分ぐらい、30分ぐらいのセッションをします。その後、僕とプレシャスさんを中心に、それぞれ皆さん世界の色々なところを個人的に、そして社会的に旅行していますので、みんなで知っている道路の名前、ストリートの名前をね、例えば練習をここでしたいと思います。僕が例えばどこかの道の名前を言ったらプレシャスさんにマイクがいくわけですね。そうして、他のアーティストもぜひ入っていただいて、皆さんで、個人的に関わり、そして知っている、そこにいた道の名前をみんなでセッションできたらなと思います。

左から:ヤン・ヘギュ、曽根裕、島袋道浩、バルバラ・サンチェス・カネ

木ノ下智恵子:今ここでですか?後ほどのステージですか?

曽根裕:
体育館のリクリットさんのステージです。でも、簡単なのでちょっと練習すると・・・
(英語)
プレシャスさん、では私がはじめますね。例えば、「ハリントンドライブ」
プレシャス「クィンジーストリート」
曽根「ファルコンプレイ」
プレシャス「マボロストリート」
曽根「パシフィックストラッチェ」・・・

素晴らしい。簡単に個人が、個人として関わってきたそれぞれの道をここでせっかく旅ということもありますので、みんなで交換できたらと思います。

木ノ下智恵子:
セッション、ありがとうございます。

曽根裕:
そしてちょっと僕、後で聞きたいのですが、ちょっとこれから音響があるので、失礼していいでしょうか。リクリットさん。

木ノ下智恵子:
今ですか!?もう今この場を?

曽根裕:
音響、PAのセットがあるので、ちょっと先に失礼させてもらいますけれども。

木ノ下智恵子:
怒りと道の謳いを今終えて、曽根さんがサウンドチェックのため会場を後にします。皆さん大きな拍手をお送りください。

曽根裕:
この後、皆で一生懸命いろいろな気持ちも含めて、セッションをしたいと思いますので、ぜひこの後は体育館に来ていただいて、リクリットさんの作品がいよいよ生き生きしてくるので、それを見に来てください。よろしくお願いします。皆さんありがとうございました。大きなこのカンファレンスを協議いただいてありがとうございます。ダニエルさん、マイリンさん、アジフさん、プレシャスさん、バルバラさん、島袋さん、ヘギュさん、リクリットさん、ありがとうございました。皆さんこれからもどんどん皆さんを幸せにしてあげてください。それでは行きますので。宜しくお願い致します。

木ノ下智恵子:
はい、よろしくお願いします。では大きな拍手で皆さん、ライブに向かう曽根さんをお送りください。ありがとうございます。はい、ということで皆さんにいきなりバトン渡されましたけど、マイリンさんステージ上がっていかがでしたか?引き継ぐ立場として何か一つコメントを。マイリンさんにとって、今回、岡山芸術交流をどういうふうに楽しんでいらっしゃるかとか、マイリンさんにとって現代美術の作品活動は何なのか、この二つについて少し簡単にお話しいただけたら。

マイリン・レイ:
はい、とても楽しんでいます。もう信じられないくらいの経験をさせて頂いています。私にとってこれがどんなに素晴らしいことかを理解してもらうには、私が現代美術など何もしたことがない人間であることを知ってもらう必要があるでしょう(笑)。私はストリートダンサーです。ダンスバトルもやったし、ダンスバトルの審査員もやったことがあります。映画制作が現代美術に一番近かったものと言えるでしょうか。だから、今自分がこの場にいることは、私にとってとても偶然なことでした。実際、最初に招待状を受け取ったときは、詐欺かと思いました。でも、それが何カ月も続いたので、「私を騙そうとしている人は、こんなに長い間頑張っているのだから、いくらかお金が稼げてもいいのではないか」と思った程です(笑)。
そういったわけで、この素晴らしいアーティストたちと一緒に自分がここに座っていることが未だに信じられません。彼らの作品を見るだけで、アーティストとしてだけでなく、一人の人間として、とても刺激を受けました。彼らの作品を見ているだけで、いろいろなことを感じたし、ステージもとても楽しかったです。私たちがやっていることは、本当にすべて即興なんです(笑)。あらゆる方法でフリースタイルする、というのはストリートダンサーとしての練習法でもあります。今回の作品《良い夢の鬼 demons of good dreams》というプロジェクトも同じような形で制作しました。でも「Untitled Band (Shun Owada and friends)」というバンドとのフリースタイルは、私にとって新しい、違ったレベルの即興でした。バンドメンバーの一人がステージにギターを置いて去って行ったその瞬間のことです(笑)。私は今までそのような場面に直面したことはありませでした。そして、他のダンサー達にとっても同様です。(リクリットの)「オイル ドラム ステージ」の上でフリースタイルを披露し、その後ろではバンドが演奏しているという状況になったことがないのです。でも、みんなとても楽しんでいました。私が思っていた以上に、みんな上手に適応していたと思います。そして、皆さんが非常にオープンに接してくれたことに感謝しています。曽根裕さんは最高でしたね。本当に楽しい人です。以上です。

左から:アジフ・ミアン、マイリン・レイ、ダニエル・ボイド

木ノ下智恵子:
ありがとうございます。島袋さん、曽根さん帰ってしまいましたけど、いかがですか。

島袋道浩:
帰ってしまってね。。。いや、怒りといっても、もちろんみんな怒っていると思うのですけど、ではアート、アーティストとしてどうやって解決していくのかと言うと、曽根さんの場合は道の名前を言い合うことに繋がるのが面白い人だなと思います。彼とも知り合って25年ぐらいですが。
僕が思うのは。。。昨日のプレス対応の時にも今回の総合ディレクターの那須さん、リクリットさんのお二人から6年前かな、前々回の岡山芸術交流の時に中学生ぐらいの子が来てすごく興味を持ってくれたと。今回その子がまた戻ってきてくれて、今度はアーティストたちとコミュニケーションを取るために英語を勉強していると。それがリクリットさんも今回キュレーションする中で大きなモチベーションになっているという、すごく印象的な話をされたのですが、アートというのは窓を開け、扉を開けておかなくちゃいけない、誰でも入れるようにしておかなくちゃいけないと思うのですが、本当に救われる人はこんな風に結局、1人とか2人いればそれで済むのではないかと思うのです。というのも、アートというのはすごく福祉に似ているところがあって、本当に必要な人が1人でもいるのであれば、スロープをつけなくてはいけないし、手摺をつけなくてはいけない。アートというのはそういうものだと思っていて。ですから、今なぜ僕たちが怒っているかというと本当に少数の人……、1人の人が……。
(感極まって言葉を詰まらせる。)

ごめんなさい。僕は曽根さんと違う方向に感情が行くのですが。本当に1人の人がやることで世界はみんな迷惑してしまっている、例えば先日奈良で起こった暗殺事件とか、今ウクライナで起こっていること、本当に少数の人が世界を無茶苦茶にしているという。そういう1人の人を何とかするために、アートはあっていいのではないかなと。

曽根さんなんか、アートが無かったらもう、この人何をしているかわからない人ですよ。アートがあることによって救われている人が何人かいて、多分僕もそういう1人だと思うのですけど、多分曽根さんもそういう人で、曽根さん帰ってしまったけれど、ちゃんと話をしたかったのですけど、アートって皆のためだと言うけど、そういう1人、奈良で鉄砲を撃つ人とか、ウクライナでめちゃくちゃする人、そういう人を止められたら、止められる可能性があると思うのです。そのために一応みんなに扉を開きつつ、1人でも本当に届けばいいなと。そういうものだと思います。

島袋道浩

木ノ下智恵子:
ありがとうございます。ヤン・ヘギュさんどうですか、今のお話を聞いてみて。何かこう扉が開いて、今島袋さんの話を深くうなずいていらっしゃいましたけど。何か一言、アートとはどういうふうに考えられるか。少しお話しいただけますか。

ヤン・ヘギュ:
はい、私、実はもう大変感銘を受けました・・・。(言葉がつながらずマイクを戻す。)

ヤン・ヘギュ

木ノ下智恵子:
何か無言になるっていうのもすごくいいなと思います、、、。
バルバラさんの先ほどのご発言で「アートは道だ」っていう言葉に何かひょっとしたら曽根さんが反応されて、道のセッションが始まりましたけど、バルバラさんは今回のセッションに参加して、アートってどういうことなのか。これまでの皆さんのお話など聞かれたことなど含めて、少しコメントいただけますか。

バルバラ・サンチェス・カネ:
私にとっては、自由の別の形ですね。私が言う道のりとは、この世界で生き抜く道のりことなのです。仕事をし、自分の作品を発表し、そして夢を見て、実際にそれが目の前に実在するのを見ることができる、そんな特権を私はもっているのです。私はいつも言っているのですが、絵を描くときには、頭の中にあるアイデアを実現するためのサポートがあるのです。そして、それを紙に書き出す時が、そのアイデアが変わるかどうかという興奮の瞬間なのです。変化するのは我々人間も同じですよね。そして、そのアイデアを紙に最初に書き出すときこそが、一番セクシーな瞬間だと思うのです。自分の作品を見て、人々がどう反応するか、他の人がどう反応するかというのは、まったく別の話なのです。だから、自分の作品について話すことは、すべての答えを出す、またはすべての答えを出そうとするようなものですが、私でさえもすべての答えを知っているわけではないのです。作品と自分が対峙する。それこそが作品を生かすことになるのです。つまり、私にとってアートとは新しい形の自由なのです。

バルバラ・サンチェス・カネ

木ノ下智恵子:
ありがとうございます。アジフさんは、サイエンスとか、今のテクノロジーと、そこに実際には無い亡霊のようなものを生み出そうとしている、甦らそうとしている。テクノロジーも含めて、アートと融合されていますけど、どのような考えがありますか。

アジフ・ミアン:
無いものを作るというのは、わくわくすることだと思うんです。また、先ほどの怒りとか、何かを嫌いになる話しは、いい出発点だと思います(笑)。砂漠が嫌いで、芝生を植えるとか。みんなで話していたんです。私の初期の作品のひとつは、高校時代にいじめられたことに対するパフォーマンスでした。喧嘩を再現するのですが、ルールを変えるんです。とてもゆっくりした動きで、地面を踏みしめ、ダンスへと変化していくのです。駐車場の地面で寝転んだり、とても独特な方法を用いてです。このように、何かが気に入らない、同意できないという考え方は、時にはインスピレーションにもなり、良い出発点にもなり得ると思うのです。この展覧会では、私は監視カメラやドローンなどのテクノロジーが好きではないのですが、どうすればそれを台無しにできるのか、どうすればそれを覆すことができるのか、を考えています(笑)。そうです、もっと不思議なもの、もっと神話的なもので、もっと子どもが好きそうなもの、例えば、幽霊とかですかね。それが私にとってのアートなんです。

アジフ・ミアン

木ノ下智恵子:
ありがとうございます。では、ダニエルさんにとってアートとはなんでしょうか?今日は皆さんに同じ一つの問いでいこうと思っていまして。

ダニエル・ボイド:
私は、アートとはプロポジション(提案)であり、コミュニケーションであると考えています。この展覧会の素晴らしさは、リクリットさんが説明したように、周辺のこと、つまり、必ずしも全体の一部になる機会のない声や経験、共有された経験についての展覧会であることです。このようなシナリオや状況は、より集団的な、関係性の感覚を融合させるために不可欠だと思います。つまり、コミュニケーションが大事なのです。

ダニエル・ボイド

木ノ下智恵子:
ありがとうございます。プレシャスさん、いかがですか。

プレシャス・オコヨモン:
私にとってアートとは、世界を構築するための入り口であるといつも考えています。今、私たちは歴史の終わりにいるわけですが、この時代に生きていて、新しい世界をどのように構築したいかを考え、進めていくことは興味深いことです。そして、それこそがアートだと思うのです。終わらない新しい思考言語のように、新しい世界を作るために、私たちはどのように夢を共有することができるのか、それを永遠に考えながらやり続けたい思います。

左から:バルバラ・サンチェス・カネ、プレシャス・オコヨモン、アジフ・ミアン

木ノ下智恵子:
ありがとうございます。ヤン・ヘギュさん、言葉は出てきましたか?大丈夫ですか。

ヤン・ヘギュ:
・・・(言葉を詰まらせる。)

木ノ下智恵子:
今からどんどんもっと深めていきたいところなのですけど、時間という有限の財産があります。最後にリクリットさん、今回こんなふうに始まった岡山芸術交流が岡山の人と世界の人にどういうふうに夢を見ながら伝わっていくといいかなと思いますか、メッセージをください。

リクリット・ティラヴァーニャ:
いつもは飛行機の中でしか泣かないのですが、今日はそんな気分になっています。あの、いや、その、みんなの作品に感動しているのです。そして皆さんが普段は閉まっている扉の中に足を踏み入れてくれたことを本当に嬉しく思っています。(感極まって言葉を詰まらせる。)

木ノ下智恵子:
言葉に詰まる感じですよね…。

島袋道浩:
変わったトークになりましたね。

木ノ下智恵子:
変わったトークですけど、素晴らしいトークだと私は本当に心から思っています。
(会場から拍手)
この無言の一つが皆様の中のイメージとしてこの岡山芸術交流、そして世界が変わる一つの変化を表す一日あるいは一歩、皆様のイメージの世界が、以降変わるというような力になったら本当に嬉しいなと思っています。どうですか、島袋さん。

島袋道浩:
この後、曽根さんのパフォーマンスを観に行ったらみなさん、曽根さんによろしく言ってください。ちゃんと言っておいてください、その後どうなったか。先に帰るなって言っておいてください(笑)。

リクリット・ティラヴァーニャ:
ごめんなさい。本日参加いただいた皆様に感謝申し上げます。今までずっと苦労をかけさせられた、いや、かけてきた原田大輔さんにも感謝申し上げます。ありがとうございます。岡山と皆様に感謝申し上げます。

私が思うにアートというのは、愛する友人たちとお気に入りのラーメン屋に行って、料理をしてくれるおばさんに出会い、その時間をみんなで楽しみ、そして私たちが一緒にいるということを感じる、そのようなことだと思います。(感極まる)
ありがとうございます。
(アーティストが退出)

木ノ下智恵子:
時間といろんなことや思いを共有できて本当にとても素晴らしい岡山芸術交流2022のアーティストトーク、歴史的なスペシャルトークになったと思います。皆さんの涙と心に感謝をしたいと思います。本当にありがとうございます。
(会場拍手)

本来はフォトセッションのはずでしたが、もはやもうそれも皆さんの感動を言葉で濁す形になりますので控えます。今日はこのような形で終えますが、オンラインの方々、会場の皆様、そしてアーティスト、とってもスペシャルな時間と皆さんのお話を本当にありがとうございます。今日から始まります岡山芸術交流2022を、ぜひとも皆さんの言葉と思いで届けていただけたらなと思います。どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。